內(nèi)容導(dǎo)讀:安藤忠雄?京都工藝?yán)w維大學(xué)講演會―「夢もって走れ」 2012年5月17日,世界著名建筑大師安藤忠雄來我校做了一個(gè)題為“攜夢向前跑” (攜夢猛跑)的講演會(免費(fèi))。 當(dāng)天,聚集了預(yù)計(jì)人數(shù)兩倍以上的校內(nèi)外2000多人,一共布置了4個(gè)大的會場,其中三個(gè)為現(xiàn)場轉(zhuǎn)...
2012年5月17日,世界著名建筑大師安藤忠雄來我校做了一個(gè)題為“攜夢向前跑” (攜夢猛跑)的講演會(免費(fèi))。
當(dāng)天,聚集了預(yù)計(jì)人數(shù)兩倍以上的校內(nèi)外2000多人,一共布置了4個(gè)大的會場,其中三個(gè)為現(xiàn)場轉(zhuǎn)播的會場。演講內(nèi)容來說,不單單是建筑方面的內(nèi)容,而且以“大阪爺們兒”的語氣語調(diào)滔滔不絕,引來現(xiàn)場的一片笑聲和掌聲。可見他的影響力之大,知識面之廣,幽默細(xì)胞之多。
由于,聚集的人過多,即便校方臨時(shí)準(zhǔn)備了三個(gè)副會場,但還是有很多人未能親自聽到本次的演講??蓱z的他們只能坐在主會場外。但是安藤為了他們,在本次講演會正式開始之前,在會場外做了大概10多種的“説得”。內(nèi)容略為簡短,但是能看到本次講演會的影子。
內(nèi)容為:はやく自立しろ、まずは①本を読め、②京都の文化にもっと觸れろ、③パソコンはやっぱりやったらアカンで、④もっと英語を勉強(qiáng)せなアカン。
以下是通過在現(xiàn)場的講演會之中我個(gè)人的簡短筆記以及會后他人的筆記匯總的內(nèi)容。“不完全”但足以。因?yàn)榘蔡僭谘葜v中也說到,不需要做一個(gè)完整、完美的人。(要做勇敢向前的人!)
u 今の社會は「気持ち」が後ろを向いている。
u なんでも、日本は會議をする。民主主義を隠れ蓑に責(zé)任回避の會議をする。
u 日本人は本音を言わない。人の心との付き合いが難しい。
u 日本は春夏秋冬が美しい、特にこの京都。日本人の美の感性は自然から來ている。(人生之美)
u 若い人は、「心の置ける」友人をつくらなアカン、一人では何もできない。
u 自分のチームをつくる、一人の力できることは知れてるから。(海外でプロジェクトを行う時(shí)、現(xiàn)地にいる安藤チームを呼ぶという)(毛澤東的統(tǒng)一戰(zhàn)線思想)
u 今の若い學(xué)生は、甘えられている。もっと自立した責(zé)任感ある個(gè)人になってほしい。(自立)
u 自立した個(gè)人になるためには、親と縁を切れ。
(東大の入學(xué)式に學(xué)長から講演を頼まれた、自由にやってよろしいと。毎年、3000人の新入生に対して、6000人の父兄が來る。子供を自立した個(gè)人にさせるには6000人の父兄に會場から出ていってくれと言いたい。しかし、學(xué)長は、それを言ったらまずいと思い、「出て行って欲しい気持ちだ」と言い替えた方がいいという。自由にやれといったのはあなたでしょ、と學(xué)長に怒った。本番は壇上に上がれば、こっちのやりたい放題、學(xué)長なんか気にせず言いたいことをゆった。)
u 今の子供たちは教養(yǎng)はあるが、野性(野心)がない。
u 京都の學(xué)生が事務(wù)所にアルバイトに來る。毎日夜になると、帰りの電車を気にしてそわそわしだす。(終電なんか気にしてたら、仕事できひんやろ!大阪から京都くらい歩いて帰れと怒る。結(jié)局、その學(xué)生は歩いて帰ったという)
u 日本は平和ボケしている、挑戦する勇気を持つ人間になれ。
u 頼まれたことしかしないのはダメですよ、もっと領(lǐng)域を広げないといけない。(大阪と京都の境目にある美術(shù)館のプロジェクトで境界を越えて京都府の土地まで設(shè)計(jì)した。勿論、京都府と長い交渉を経て。)
u 境界を越えていくと危険もあるんですけど、危険を越えていかないといけない。
u サントリーの社長、佐治さんからサントリービールの美術(shù)館設(shè)計(jì)を依頼され受け取る。後日、アサヒの社長からもアサヒビールの美術(shù)館設(shè)計(jì)を頼まれ受け取った。この二人仲悪いから、やったろと思った。數(shù)日後、サントリーの社長から電話がきた「お前、アサヒの設(shè)計(jì)してるって聞いたぞ!」そのあと、アサヒの社長から電話:「お前、サントリーの美術(shù)館つくってんのか!」(人性矛盾!)
u 東大に教授として呼ばれたとき、サントリーの社長佐治さんに相談しに行った。「お前は建築しかできひん、東大は勉強(qiáng)しかできひん、接點(diǎn)がないから行くな」と。なかなかわかりやすい言葉やった。わかりやすい言葉をしゃべるのは大事ですよ。(簡單明了!)
u 自分がいいことしたら、発表する、宣伝する。もっとメディアを活用しなアカン。(発表の力量)
u 仕事が仕事を呼ぶからな。
u 有るものを活かして、無いものをつくる。
u 老人を大切にする気持ちと古いものを大切にする気持ちは同じ。
u 建築をつくっただけではダメ、それがどう社會に組み込まれるかまでを考えないといけない。(只做建筑不行,一定要考慮對社會的意義!)
u 理想をもって、諦めず自分の戦略の中で生きていく。(わがまま、我道をゆく)
u 自分のことと社會のことを半分半分で考えないといけない。
u 自分の原點(diǎn)をつくる事が大事。原點(diǎn)の本、原點(diǎn)の建築、原點(diǎn)の場所...人生行き詰ったら、原點(diǎn)に立ち返るといい。(原點(diǎn)理論)
u 本日の日本には感動がない。(感動する場をつくらないといけない、感動する経験がないと、感動するものはつくれない)
u この間、上海で萬人講演會をやった。大人一人10000円の入場料、學(xué)生は1000円やった。日本で1000円の講演會は1萬人も集まらない、本日無料やからこんなに來たんやろ?。ㄐΓ?/span>(宣傳自己價(jià)值!墻里開花,…)
u 何をやるにも、精神的體力と肉體的體力の両方が必要です。
u 自分でやるよりは、みんなの意見聞いて、みんなを倒していく。そんなんもいいかなぁと思います。(傾聽大家意見,但超越它!)
終わり
序創(chuàng)造的原點(diǎn)在于好奇心和斗爭心 安藤提出做建筑要保持對事物的好奇心和對世界、對自己的斗爭心。他18歲開始決定自學(xué)建筑,親身游歷日
第一回做建筑是惡戰(zhàn)苦斗的事 建筑師并不像大家表面看到那么光鮮亮麗。做建筑是一場苦斗,不僅自己要有想法,還需要綜合考慮甲方要求、
第二回開設(shè)自己的事務(wù)所 由于自身學(xué)歷和家庭經(jīng)濟(jì)等原因安藤沒有接受大學(xué)教育,唯有選擇自學(xué)之路。28歲那年他在大阪開設(shè)自己的事務(wù)所,
第九章思想可以超越經(jīng)濟(jì) 80年代時(shí)日本出現(xiàn)普遍的用工荒,很多工程設(shè)計(jì)好了卻難以找到施工單位建設(shè)。恰好安藤一個(gè)開小施工公司朋友看見
第五章安藤建筑的原點(diǎn) 雖然并不成熟,安藤還是把自己第一個(gè)項(xiàng)目發(fā)表到雜志上,結(jié)果有人打電話來委托安藤做設(shè)計(jì),這個(gè)設(shè)計(jì)就是住吉長屋